
どうも!編集長のりゅうじです!



豊橋市でおすすめの神社を知りたいぶ〜!



任せてよ!それでは今回はおすすめの神社5選を紹介したいと思います!



よろしくぶ~!!
豊橋には東三河地方を中心に伝わる手筒花火が吉田神社が発祥の地といわれていて、豊橋祇園祭、ええじゃないか豊橋まつりをはじめ歴史ある祭りは豊橋発祥なんですよ!今回はそんな愛知県豊橋市でおすすめの神社を紹介したいと思います!
そもそもなぜ神社でお祭りをするの?神社とお祭りの関係はなんだろうと思った方いませんか?
なぜかというと、神さまをお招きし、その場所にお鎮まりいただいた神さまへのご奉仕(感謝)をする場所であり、この神さまへのご奉仕(感謝)こそが「お祭り」なのです。「政」も「務」も「まつりごと」と読みます。 このことから、広く社会に奉仕することが、広い意味での「まつり」ということです。神さまに願う行事としてのお祭りもあります。



神社参拝はもちろん、神社で行われるお祭りにも興味を持ってもらえるような 記事になっています!
吉田神社


創建については諸説ありますが、旧社家の文書(天王御縁起)には天治元年(1124)当地で疫病が流行した際、牛頭天王(ごずてんのう)を勧請し疫病退散を祈願したのに始まるとあります。源頼朝の崇敬殊に篤かったとされ、治承2年(1178) 頼朝 雲谷普門寺に在宿の折、御祈願の為名代鈴木新十郎元利をして参拝せしめ、後文治2年(1186)石田次郎為久また代参とあり、其の時二日市に天王社(後に下天王・御輿休(みこしやすみ)天王社 今の新本町素盞嗚神社)を建立したとあります。


手筒花火発祥 吉田神社 御祭神 素盞嗚尊(すさのおのみこと) 荒神であると同時に暴風神・海の守護神、農業神・英雄神、疫病除けなど多面的な神様
古くは天王社・牛頭天王・吉田天王社と称した古社で、多くの武将たちから崇拝を受けました。その中でも源頼朝が深く崇拝したことから、頼朝公の行列を再現した神輿渡御(みこしとぎょ)が天王祭として誕生したのが、豊橋衹園祭の始まりです。本祭となる神輿渡御の前夜祭として盛んになったのが、江戸時代ごく限られた地域だけに扱いを許された黒色火薬を使った花火の放揚です。神社に残る文献によると、永禄元年(1558)に今川義元の吉田城代、大原備前守の吉田神社への奉納に始まるとあり、このことが「手筒花火発祥之地」と言われる所以です。また打上花火についても、これほどの市街地で打ち上げられる花火は、他には類を見ません。花火業者に混じって打上作業に従事するのは、この日の為に講習に参加し、資格を受けた氏子青年達。伝統の花火を受け継ぐ努力が続いています。7月第3金曜日に手筒花火の奉納、第3土曜日には打ち上げ花火が豊川河畔で打ち上げられます。また、第3日曜日には頼朝行列などが行われます。
金柑丸稲荷社 城守護稲荷社御祭神 宇迦之魂命(うかのみたまのかみ) 五穀豊穣を司り、途中からお稲荷さんを信奉した商人が成功をおさめていったことから、商売繁盛の神様


伊雑社(御鍬神社) 伊佐波登美命(いざわとみのみこと)玉柱屋姫命 (たまはしらやひめのみこと)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神様


素盞嗚神社(輪潜り神社) 毎年7月31日に輪くぐり神事が斎行されることから、輪くぐりさんと呼ばれ、毎年多くの参拝者で賑わいます


所在地 | 豊橋市関屋町2 |
お問合せ | 0532-52-2553 |
利用可能時期 | 境内自由 |
定休(休館)日 | なし |
利用料金 | 無料 |
交通機関 | 市電「市役所前」下車徒歩5分 |
駐車場 | あり |
公式サイト | http://toyohashi-yoshida.com/ |
牟呂八幡宮


社伝によれば飛鳥時代、文武天皇元(697)年に創建とされている。平安時代中期に編纂された『三河国内神明帳』に「従五位上 牟留天神 坐渥美郡」と記されている神社は牟呂八幡宮と考えられています。貞応元(1222)年鎌倉将軍の命により、鎌倉鶴岡八幡宮を手本にして三方に大門・三池をめぐらし、市杵島社、若宮八幡社、武内社などを勘請した。昭和20(1945)年6月空襲により社殿が被災したが、同24(1949)年再建した。「ええじゃないか」発祥の地とされている。
誉田別尊(ほんだわけのみこと) 武勇と学問の神、戦いの神、学問や文化の神、農業や漁業の守護神、豊穣の神様
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと) 武の女神、子授け・安産・子育の神様
略歴
慶応3(1867)年7月14日午後4時頃、大西の多治郞屋敷に外宮のお札が降った。明くる日にも、天王社の中の樹に伊雑宮のお札が降り、さらにその晩、中村の普仙寺の秋葉山石灯籠に内宮のお札が降った。当時の牟呂八幡宮神主森田光尋は庄屋や総代を集め相談した結果、文政13(1830)年のお鍬祭に倣って実施することとなった。18日午後4時、大西の総代がお札を持ち、牟呂八幡宮へ向かった。村の人たちはお揃いの衣裳で-300年は大豊年-の古歌を歌いながら踊りたわむれた。
牟呂八幡宮ではお鍬様をお祭りし、神事を行い、社前に幟を立て人々には酒をふるまった。集まった大群衆の-300年は大豊年-の声はお宮の森にこだました。この遊び日は2夜3日の20日まで続いた。それから1ヶ月後の8月12日、牟呂八幡宮に秋葉山のお札と御像札が降っており、16、17日にお祭りをすることとなった。芝居や狂言を行い、お酒をふるまい、境内は人で埋め尽くされた。17日の夜、そのお札を境内の秋葉神社に納めた。
ええじゃないか の広がり こうしてお札は次々と降り、神社や各家に降った。各村の神社に降った時は、その村の祭礼を行い、個人の家に降れば祭壇を設け、お札をかざり、人々には酒をふるまうなど、祭事をした。それゆえ、人々は噂を聞き、あちらこちらと飲み歩き、‐300年は大豊年‐ と浮かれていた。お札降りは忽ち東西へ広まっていった。
慶応3年9月から12月にかけて、お札降りにともなう‐ええじゃないか‐ のから騒ぎは次第に各地に広がっていった。男は女装し女は男装し、華やかな衣裳をまとい、浮かれ歩いた。お札降りがあったところに行き、酒食を強要したり、「これくれてもええじゃないか」と言って、勝手に持ち去ったりした。「それやってもええじゃないか」で止めようともしない。なんでも‐ええじゃないか‐ であった。さらに祭りは華美になり、豊年踊りやお陰踊りが入り交じった。二夜三日は七夜七日と拡大していった。このように景気がよく明るく元気な世の中に復興したことにあやかったご利益ある -ええじゃないか札守- を社務所で授与いたしております。


ええじゃないか の現在 ええじゃないかを再現しようと豊橋商工会議所青年部と共催し、毎年7月第2土曜日に無病息災、商売繁盛、事業繁栄の祈願祭を行い、その後、境内の鼓楼からお札を撒き、当時の様相を再現しています。


豊橋まつりは、この「ええじゃないか」がコンセプト!令和の「ええじゃないか」は、何でも受け入れる寛容な心、人の良い所を見つける優しい心、豊橋特有のおもてなしの心。 そして、瞬く間に全国に伝播する弾けるような楽しさをいいます。 「ええじゃないか豊橋まつり」を通して、豊橋の「ええじゃないか」を全国に向けて発信しています。
所在地 | 豊橋市牟呂町字郷社1-1 |
お問合せ | 0532-31-1567 |
利用可能時期 | 境内自由 |
定休(休館)日 | なし |
利用料金 | 無料 |
交通機関 | 豊橋駅西口から牟呂循環バスで「東脇口」下車 北へ徒歩3分 |
駐車場 | あり |
公式サイト | http://www.murohachiman.com/ |
賀茂神社
天平元年(729年)創建といわれ、京都賀茂別雷神社から勧請された古い歴史と伝統のある神社です。徳川家康公が崇敬し、永禄11年(1568年)に日本一の「大旗」を奉納して戦勝を祈願したことから後の「大旗神事」へとつながっています。また天正元年(1573年)に武田信玄が野田城を囲んだ際に、この城の救援に向かいましたが逆に敗走し、当神社の大楠の空洞に身を寄せて一命を取りとめたという逸話が残っており、そのため当神社を厚く崇敬したと言われております。このことから、賀茂神社は「必勝祈願」「立身出世」のご利益があると言われています。 毎年4月15日に近い日曜日に、穂の国葵祭が行われています。
神事 爪切り神事、大旗神事、獅子冠、藤四郎鬼面、競馬行事、夏越の大祓芽の輪くぐり
文化財 賀茂神社本殿、猿田彦古面、賀茂神社の仮面6面、豊橋市指定史跡神山古墳
所在地 | 豊橋市賀茂町字神山1 |
お問合せ | 0532-88-3359 |
利用可能時間 | 9時~16時 |
利用料金 | 無料 |
交通機関 | JR東海道本線「豊橋駅」または JR飯田線・名鉄豊川線 「豊川駅」下車 タクシーで約30分徒歩10分 |
駐車場 | あり |
公式サイト | https://honokuni-kamojinja.com/ |
雅な色が広がる美しい花しょうぶ園
賀茂花しょうぶ園では、江戸系、伊勢系、肥後系の約300種・37,000株の花しょうぶが咲き誇り初夏を体感できます。
毎年5月下旬~6月中旬にかけて花しょうぶまつりが開かれ多くの市民に親しまれています。夜はライトアップにより、日中とは少し違った幻想的な景色が楽しめます。


豊橋のもみじ寺 普門寺


「普門寺」は令和9年(2027)に開山から1300年の歴史を誇り、源頼朝公や徳川幕府の保護を受けた歴史もある。市内最多の文化財を所蔵し、二度にわたって大きな火災に遭ったにもかかわらず、善門寺には仏像、工芸品、古文書など国重要文化財の仏像を数多く所蔵する貴重文化財が多く伝えられています。船形山の旧境内遺跡と合わせて、中世山寺の代表的な遺跡の一つとして学術的にも注目を集めています。愛知県で遅くまで紅葉を楽しめる「豊橋のもみじ寺」として親しまれています。先代住職が高野山の縁起物「宝来(ほうらい)」を模して御朱印紙を手切りする「切り絵御朱印」の発祥の寺としても有名です! 毎年11月下旬〜12月上旬にかけて「もみじ祭り」が開催されます♪
所在地 | 豊橋市雲谷町ナベ山下7番地 |
お問合せ | 0532-41-4500 |
利用可能時間 | 8時~16時(駐車場も含む) |
定休(休館)日 | なし |
利用料金 | 無料 |
交通機関 | JR東海道線 新所原駅北口 天竜浜名湖鉄道 新所原駅より3km (新所原駅にタクシーあり) |
駐車場 | あり |
公式サイト | https://fumonji727.com/ |
安久美神戸神明社
天慶三(940)年、平将門の乱平定の報賽として、朱雀天皇より伊勢神宮に三河国の飽海荘(あくみのしょう)が寄進されました。その際、伊勢神宮祭主の庶流大中臣基守がこの地の司として赴き、天照皇大神を奉斎して地域の繁栄を祈願したのが当社の始まりと伝えられております。この地で作られた米・酒・絹・油・糸・紙など毎年伊勢神宮に奉献されていたことが、神宮雑例集等に詳しく記載されています。当社の社名は、この地域「安久美(あくみ)」の「神戸(かんべ・伊勢神宮の神領地)」に創建された「神明社(しんめいしゃ・天照皇大神を祀る神社)」という意味です。現在の社殿は昭和五(1930)年に造営されたもので、平成二十二(2010)年には国の登録有形文化財に指定されました。 境内北端に鎮座し、桁行三間梁間二間・神明造銅板葺で周囲に縁をめぐらして木階を設け棟に千木と堅魚木をあげる。直線的な部材構成や両妻に立つ棟持柱など神明造の制式に則ったつくりで要所を錺金具で飾っています。内務省神社局の角南隆による神社建築の好例です!
主祭神 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) 配祀(主祭神とご一緒にお祀りされている神様) 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、応神天皇(おうじんてんのう) 火産霊神(ほむすびのかみ)、武甕槌神(たけみかづちのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ) 菅原道真命(すがわらのみちざねのみこと)
所在地 | 豊橋市八町通3丁目17神明社 |
お問合せ | 0532-41-4500 |
利用可能時間 | 9時~16時 |
定休(休館)日 | なし |
利用料金 | 無料 |
交通機関 | 市電「豊橋駅前」「赤岩口行き」「運動公園前行き」「競輪場前行き」どれに乗っても当社付近の駅に停車 豊鉄バス「市役所前」または「豊橋公園前」徒歩3分 |
駐車場 | あり |
公式サイト | https://toyohashi-shinmeisha.jp/ |